【チャリティー活動】東日本大震災 〜いま、私ができること〜 陸前高田市

2011年3月11日に発生した東日本大震災発生から10年が経過しました。

みちのくドクターブログでも、東日本大震災で被災した方々や地域をこれからも支援させていただくためにチャリティ活動を行います。

このチャリティー記事で得たアフィリエイトの収益は全額、東日本大震災の復興の募金として東北魂義援金に寄付させて頂きます。

また、2021年は、2020年から続く新型コロナウイルス感染症対策に関連する事業にも一部寄付を予定しています。

最初に私と東日本大震災の関係、次になぜ今東日本大震災の復興の募金活動をするのか、そして今後の活動やふるさと納税をご紹介させてください。

なぜ10年たった今、チャリティー活動を行うか

私も東日本大震災の当時は医学生で、仙台で被災した一人です。

しかし、正直に被災者の当人にも関わらず私の中の震災の記憶は少しずつ風化している実感があります。

そんな中、少し前に私の震災の経験を話す機会がありました。

震災当時、津波の被害に直面したわけでもなく、震災翌日の夜に山形を経由して宮城から避難した自分が当時のことを語るなどおこがましいのではないかと思っていました。

それでも少しでも多くの震災の経験を把握したいとのご希望からオンラインでお話させていただきました。

この機会を通して震災当時のことを改めて振り返り、当時どのようなことを感じ・実際に経験したかについて振り返り、今までどこか自分はこの経験にふたをしていたのではないかと思い至りました

10年経過した今、東北は震災当時よりもとても元気になったことは言うまでもありません

しかし、震災を契機に震災孤児になった子どもの支援、特に沿岸部の地域の復興はまだまだこれからも必要な状態です

震災の想いを繋げる東北魂

震災から時間が経過するとともに、段々と震災をトピックとするメディアのコンテンツを見る機会が減ってきています。

このような傾向の中、東日本大震災の想いをつなげるラジオがあります。

それは、サンドウィッチマンの東北魂です。

サンドウィッチマンの東北魂

サンドウィッチマンさんのお二人も東日本大震災の当時、宮城県気仙沼市を訪れていて被災されています。

震災直後からお笑いと震災の復旧・復興の活動として何ができるのかを悩まれ、現地の方に笑みを届けたり、現地の観光促進や復興状況のお知らせをする活動を現在もされています。

私もPodcastで2017年から聴きはじめ、毎週震災のことを思い出し、考えるきっかけをもらっています。

今はSpotifyなどでスマートフォンの種類を問わず聴けるので、聴いたことのない人はぜひ聴いてみてください。

震災から10年が経った今、東北の被災地は復旧・復興しはじめ徐々に観光の活動やこれまでボランティアしていただいた方々に「ありがとう」のお返しをしています。

そんな最中に新型コロナ感染症が流行し、自由に東北各地へ観光へ行くことが阻まれています。

震災から10年が経過し、ラジオを通してこのご時世に私も何かできることはないかと考えました。

私は東北でフリーランスのような医師として働いています。そこで、訪れる東北各地の現在の姿をこのブログで共有しお伝えしようと思います。

東北が元気になった姿、支援していただいた方々に感謝していること、まだ支援を必要としていることも残っていることを一人でも多くの方に私も届けていきます

そして、この活動を通して得られるお金を寄付するとともに震災を語り継ぐことへ貢献しきます

私と東日本大震災

少しだけ、私の震災の経験についても記載させてください。

みちのくドクターブログの著者である私も、当時21歳で医学部3年生で大学の最後の授業中に被災しました。

私は地震発生時に、東北大学のキャンパスでその年の最後の授業でポスター発表をしていました。

2011年3月11日 午後2時46分18秒、それは突然のことでした。

横とも縦ともわからず、自力では立つことができず床に四つん這いになってなんとかバランスを保つのがやっとでした。

揺れがおさまった後、一時的に停電していましたが病院併設の講義棟にいたため病院の自家発電ですぐに停電から復帰しました。

そのため、その時は「今まで経験したことはないけれど、少し揺れの大きな地震かな」と感じていました。

授業は途中でしたが、大きな地震であったことから講義を担当された教授や先生方の迅速な判断で授業は中止になり、すぐに避難し帰宅することになりました。

大学のキャンパスから出ると信号は点灯しておらず、遠方では火災が発生していたことがわかりその時はじめてこれは大事だと実感し始めました。

連絡しようにも電話は当たり前のように通じません。

すぐに自宅に帰り、家の中はめちゃくちゃでした。

転倒防止などの措置を全くしていなかったため、もし授業がなく自宅にいたらと思うとゾッとします。

当時の私の自宅 夕方電気もつかなかったため薄暗いです。

スーパーやコンビニには食料品、日用品を求める長者の列ができていて、私もその日を過ごすための食料を手に入れるために並んで2時間かけてなんとかおにぎり1個を買うことができました。

その日は、私が住んでいた建物の安全性が保証されていなかったため、近くの立町小学校に避難しグランドで焚き火を囲み持ち寄っていただいたラジオを聞きました。

当時は雪が舞い、非常に寒かったことを覚えています。

これまでにない津波の被害や福島の原子力発電所のメルトダウンの情報を聞き不安と恐怖しか覚えていません。

2011年、携帯電話としてはガラケーが主流でしたが、私は運良く初代のXperiaを使用していたため家族とSkypeで電話をすることができFaceBookで友達に安否や仙台の状況を報告しました。

父からは、原子力発電所の状態や今回の地震の復興が一朝一夕では終わらないだろうというメディアの情報を教えてもらい安全面や食料面を考慮してできるだけ早く避難するように言われました。

その夜は、立町小学校の3年生の教室で持参した毛布にくるまって一夜を明かしました。

朝6時に起床しトイレに行った際、水が流れないため大便が便器からあふれ床のタイルが見えなくなるくらい散らかっていました。

臭いもきつく衛生面が半日でこんなにも悪化すること、水が流れることや電気を当たり前に使えることの大切さをしみじみ実感しました。

震災翌日の立町小学校の体育館

幸い、夜中にメールは使用することができるようになり、現状や安否について大学と連絡をとることができ、安全面や食料面などを考慮して可能ならばできる限り早く宮城県から脱出して実家へ帰るよう要請がありました。

3月12日の夜に宮城から山形への向かう幹線道路は通行止めではなかったため、山形出身の同級生のお父さんが迎えに来てくれ友人数人と宮城県を脱出しその夜は友人の自宅に宿泊させていただきました。

友人と友人のお父さんには感謝しきれません。

震災2日後に、山形の友人宅を出発し友人の一人は新潟空港から札幌へ、残りの私たちは関東出身だったため新潟を経由して関越道で東京に向かい現地で「落ち着いたらまた会おう!」と約束して解散しました。

私の震災の経験はここまでです。

津波で被災された方や家を失った方々を比べると私は怪我をすることもなく約1日の避難所での経験だったため大したことはありません。

それでも、当たり前だと思っていることがいかに大切なものか、人と人の絆がどれだけ重要なのかをこれでもかというくらい噛み締めることができました

震災後に赴いた陸前高田市

時は経ち、2018年6月に医師として岩手県の陸前高田市のある病院に診療応援として赴く機会がありました。

陸前高田は甚大な津波の被害があった沿岸部で、奇跡の一本松としても有名な場所です。

震災から約7年が経過している当時、まだ大規模な土地のかさ上げ中で地面から12メートルのその高さには息を飲みました

その時は、「これほどまでに大きな津波がここには来たのか。」と驚き、周囲には建物がほぼなくさら地の状態でただただ見渡していました。

その光景は生涯忘れられることはないでしょう。

そして、その時になって初めて復興はまだまだ途上であることを実感することができました

現在、陸前高田市に高田松原津波復興記念公園が開園し、東日本大震災による犠牲者の方への追悼と鎮魂、震災の記憶と教訓を後世へ伝承しています。

まだ私自身も伺えていませんが、ぜひ一度震災の影響がどのようなものだったのか実際の場所に訪れ肌身で感じてみてください

陸前高田市のふるさと納税

陸前高田市のふるさと納税について紹介させてください。

再掲です。このチャリティー記事で得たアフィリエイトの収益は全額、東日本大震災の復興の募金として東北魂義援金に寄付させて頂きます。

陸前高田市の名産はなんといっても三陸で採れる魚介です。

特に豊富な森林がすぐ海に迫る三陸リアスの中心に位置し、植物性プランクトンなど豊富な栄養源を含む水によって育つ牡蠣は絶品です。

ぜひ一度ご賞味ください!

殻付きだと食べにくい方は殻がないものもあります。

牡蠣は控えている方もいると思います。そういった方は海の恵の詰め合わせなどはいかがでしょうか。

震災から10年、これから

東日本大震災から10年が経過し、これからの課題は「語り継ぐ」ことです。

震災の経験の有無に関係なく、2011年3月11日に東日本大震災でこれまでにない地震と津波が生じ、多くの事故とともにたくさんの命が亡くなったことをできるだけ後世に伝えることが大切なことです

そして、震災の影響でまだ生活に困っている人がいます。

生活に難渋している方を支援し、支援していただいた方に「ありがとう」の恩返しと継続的な繋がりを保つことも重要です

こういった活動に少しでも貢献できるようみちのくドクターもブログで東北各地の現在をお伝えてしていきたいと思います。

新型コロナ感染症の流行が落ち着いたあと、読者の方もぜひ一度は東北の地へ足を運んでみてはいかがでしょうか。

次回は東北地方最大の都市、仙台の一部をご紹介したいと思います。

それではみなさん、ばいび〜。

みちのくドクター Ma.sato

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